日韓対立を読み解く(3) 「反日マーケティング」に乗らないために
2019/08/13

日韓対立を読み解く(3) 「反日マーケティング」に乗らないために

安倍政権が「ホワイト国」から韓国を除外する政令改正を閣議決定して、1週間が過ぎた。ここまでの2回の連載で述べたように、文政権はこれに対し、「悪の日本」対「善の韓国」という二項対立の構図を打ち出し、国民に「愛国か利敵か」という踏み絵を迫っている。言い換えれば、ナショナリズムに火をつけて、自らの反日マーケティング政策に動員しているのである。

 

 

一方、日本はどうか。閣議決定の前に行われたパブリックコメントでは、除外に95%が賛成したという。決定の当日には、15万もの関連ツイートがなされ、注目度の高さがうかがわれる。しかし、ここに一抹の危うさが潜んでいるのではなかろうか。すなわち、「ナショナリズムを鼓舞する」という相手の土俵に、迂闊に乗ってよいのだろうか、という問題である。

 

 

「愛想尽かし」をしたい日本

閣議決定当初から、日本政府はたびたび説明しているように、輸出管理強化は安全保障上の理由による。韓国から第三国に流出して軍事転用の恐れがある輸出品の管理を強化すること、これが政令改正の目的だ。ただし、実体としてこれらの決定は、「もう韓国をこれ以上相手にしたくない」という「気持ちだけでも国交断絶」という漠然たる民意に沿っているように思われる。

 

 

決定によって、「韓国経済を破綻させる」あるいは「歴史問題で譲歩を得る」といった成果を日本政府が期待しているとは、考えにくいし、現実的でもない。韓国経済に一定の打撃や構造変化が生じるとは思われるものの、1997年の「アジア通貨危機」よりも強固になった韓国経済は、そうやすやすと破綻するようなものではない。歴史問題についても、文政権が譲歩するとは到底考えられない。むしろ、慰安婦財団の解体を一方的に行ってきた韓国には、もう付き合いたくないというのが本音で、「向こう三年間は少なくともあきらめる」というのが現実に近い。つまり、政府・国民がいまのところ「愛想尽かしをしたい」というのが、現状だろう。

 

 

ナショナリズムの土俵に乗らないために

ところが、文大統領の激越なメッセージは、日本にも反発を引き起こしている。それも道理である。「われわれは十分に日本に勝つことができる。韓国経済が日本経済を超えることができる」と鼓舞し、「挑戦に打ち勝った勝利の歴史を国民とともに再び築きたい」と、ナショナリズムを鼓舞すれば、日本とて「相手にしたくない」という状態にとどまらず、ナショナリズムに火がつくのは当然のことだ。

 

 

しかし、ここで踏みとどまるのが良識ではなかろうか。つまり、「ナショナリズムとナショナリズムの衝突」となってしまえば、妥協できるところは非常に小さくなる。文政権がすでに「愛国か利敵か」という踏み絵を迫るなか、日本で同じことを起こしてしまえば、「相手にしない」を超えて具体的な報復合戦になってしまう。JCU論説ですでに述べた通り、そのなかで軍事情報保護協定(GSOMIA)の破棄などに至れば、金正恩体制を利するだけだ。そうであれば、我々に必要なのは、「熟慮する」(prudent)ことである。いたずらにナショナリズムの土俵に乗るのでなく、じっくり相手の現状と出方を観察しつつ、韓国国内にいる親日派や保守派と「三年後」を見据えることが重要なのだ。

 

 

韓国では現状、大統領は連続任期を持てない。したがって、文大統領の任期はあと3年だ。しかし、ここで日本と韓国がナショナリズムをぶつけ合う争いに突入してしまえば、彼の「レガシー」はより長く残るし、彼の後継者が次期大統領となりかねない。そうなってしまえば、「敵対的韓半島」という構図が定着してしまう。

 

 

つまり、いまこそ私たちは、冷静かつオープンにならなければならない。もし、韓国保守派が連携を求めてくるのであれば、気前よく友好関係の糸をつなぐべきではなかろうか。文政権を拒むグループの声を聞くべきではなかろうか。

 

 

真の敵が、共産主義的な文政権であり、その向こうに見え隠れする北朝鮮であることは明らかだ。この現状を冷静に認識し、「文政権への愛想尽かし」で踏みとどまること、これが日本国民にとってのグローバルな責任であると同時に賢慮なのである。

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